現在、多くの神社では、日本神話に登場する神を祭神としているか、日本神話の神と同神であるとしている。 元々神道は海・山・川などを畏敬の対象の神体とする自然崇拝から始まったものであり、初期の神社では、そこに祀られる神には特に名前はないか、不詳であった。記紀や万葉集などでも、祭神の名が記されているのは伊勢神宮、住吉神社などごくわずかであり、ほとんどの神社の祭神は、鎮座地名や神社名に「神」をつけただけの名前で呼ばれていた。延喜式神名帳でもほとんどの神社は社名しか … 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/13 03:38 UTC 版), 現在、多くの神社では、日本神話に登場する神を祭神としているか、日本神話の神と同神であるとしている。, 元々神道は海・山・川などを畏敬の対象の神体とする自然崇拝から始まったものであり、初期の神社では、そこに祀られる神には特に名前はないか、不詳であった。記紀や万葉集などでも、祭神の名が記されているのは伊勢神宮、住吉神社などごくわずかであり、ほとんどの神社の祭神は、鎮座地名や神社名に「神」をつけただけの名前で呼ばれていた。延喜式神名帳でもほとんどの神社は社名しか記されていないことから、延喜式が編まれた10世紀初頭ごろまではほとんどの神社の祭神には特に名前がついていなかったことがわかる。, 10世紀ごろから、それまでの氏神・地主神・岐の神としての性格だけでなく、火の神・水の神・木の神などの具体的な神徳・機能が附加されるようになった。鎌倉時代末期になると、仏教による本地垂迹説に対する神本仏迹説が主に武家に支持されて隆盛となり、祭神も、その神徳に合わせて地名・社名から日本神話に登場する神、あるいは「神」「命・尊」「彦・比古」「姫・媛・比売」などをつけた人格的な神に移行するようになった。また、稲荷・八幡などの有力な神を分霊(勧請)してそれを主神とすることも広く行われた。この流れは江戸末期の国学者たちによる復古神道の提唱により神典が頻繁に引用されて行われ、さらに明治になり神仏分離として結実すると、村社末社無格社に至るまで浸透した。, そのため、神社の由緒には確実性に疑問が残ることとなり、式内社の論社においても伝承により後裔の可能性がきわめて高い論社という扱いとなっている。, 通常、神社では複数の神を祀っており、その中で主として祀られる神を主神(しゅしん)・主祭神(しゅさいじん)、それ以外の神を配神(はいしん)・配祀神(はいししん)・相殿神(あいどのしん)などという。, 祭神を主神・配神に分けるのは、明治時代に官国幣社で行われるようになったのに始まるものである。「主神とそれ以外の神」という観念はそれ以前からあり、「前」「相殿神」などと呼ばれていた。配神は通常は主神にゆかりのある神だが、そのほか様々な経緯により共に祀られるようになった配神もある。主神と同時に祀られるようになった配神もあれば、後で加えられた配神もあり、中には本来は配神だったのが後に主神に取って替わったものもある。明治時代の神社合祀により、多くの配神を祀ることになった神社もある。, 相殿(合殿とも)とは、主神を含めて複数の神が祀られた社殿のことを指す。「相殿神」とは相殿に祀られる神のことだが、主神と配神とがある場合は配神のことを相殿神という。, ビジネス|業界用語|コンピュータ|電車|自動車・バイク|船|工学|建築・不動産|学問文化|生活|ヘルスケア|趣味|スポーツ|生物|食品|人名|方言|辞書・百科事典, All text is available under the terms of the. 「堅牢」という言葉は、コンピュータを始めとするIT機器において、セキュリティ強化で使われるが多いのですが、データを守ことは、社会からの陣容を担保するものでもあります。, 「今年発売された堅牢性の高いスマホが、とても人気を呼んでいる」 性犯罪での逮捕を機に失職. 簡単に言うと「頑丈なこと」という理解ができます。 ただ、使われるシチュエーションとして、「堅牢」は主にビジネスシーンで、「頑丈」は日常的な会話の中で使われることが多いと思われます。, 今やビジネス業界だけでなく、日常生活の中でもインターネットが必要不可欠な存在となっています。 「力が強く」という意味は「堅牢」にはない解釈で「耐える力」や「外へ向かった力」という意味も含まれていますので、しかし「耐え進む」精神的強さを表現したい時にも使える言葉です。, 「頑丈」とは、「人や物が丈夫で弱りそうもないこと」という意味があります。 「享受」という言葉は日本国憲法前文でも用いられる表現ですが、その詳しい意味を知っていますか?堅苦しい表現に聞こえますが、意味や使い方はそう難しいものではありません。類語や対義語、英語訳など関連用語も含めて、「享受」について詳しく解説します。 このような例文のようにインターネットやバソコン、スマホでの「堅牢性」というのは、壊れにくい丈夫なハードウェアの設計になっていることですが、他にも想定外のシステム障害や、セキュリティリスクなどに対して、柔軟に対応できることことを指して言うことが増えています。, 「堅牢」の対義語としては、「脆弱(ぜいじゃく)」という言葉が当てはまるでしょう。 対義語の定義は知ってるつもりなのですがそれに基づく判断がうまくいきません。 たとえば「あの人の文章からは冷たい印象を受ける」という文があって、それと反対の文脈で 「柔らかい印象の文だ」とい … 右手…独鈷・蓮華・宝塔(五鈷杵・金剛剣・矢)。左手…金剛鈴・宝珠・羯磨(金剛鈴・弓・戟または槍)のような形がとられている。江戸時代には民家の台所には必ずといってよいほど祀られていた。そしてその祀り方は御札あり、御宮あり、幣束もあっていろいろな形がとられていた。, ビジネス|業界用語|コンピュータ|電車|自動車・バイク|船|工学|建築・不動産|学問文化|生活|ヘルスケア|趣味|スポーツ|生物|食品|人名|方言|辞書・百科事典, All text is available under the terms of the. 神 聖(しんせい) 敬うに値し、宗教や信仰の対象として丁重な扱いを受けるさま。 聖 ( きよ ) らかなこと。 神聖不可侵; 宗教に関係するとして特別な扱いを受けるさま。 対義語 (清らか)汚穢、卑賤 (宗教に関係する特別扱い)世俗、凡俗; 形容動詞 このような時代だからこそ、「堅牢」なネットワーク、IT機器が求められるようになっていることは周知の事実です。 「享受」という言葉は日本国憲法前文でも用いられる表現ですが、その詳しい意味を知っていますか?堅苦しい表現に聞こえますが、意味や使い方はそう難しいものではありません。類語や対義語、英語訳など関連用語も含めて、「享受」について詳しく解説します。, 「享受」とは、端的に言うと、「(利益などを)受け取り自分のものにする」という意味の言葉です。そもそも、「享」は、本来、神に供物を勧めるという意味があるそうで、現在では、もてなしを受ける・ありがたく受け取る・(供物を)捧げる、などといった意味として使われている漢字です。, そこから、「享受」は「自分のメリットとなることを進んで受け取り、自分の楽しみや利益とすること」という意味として使われています。利益や恩恵のほか、「享受」は「芸術を味わい楽しむ」という意味も持つ言葉です。, 「享受」は、「利益を受け取る」という意味でよく使われます。ここでいう「利益」には、お金など物理的なものだけでなく、精神的にもメリットとなるような事柄も含みます。たとえば、, 利益の「享受」と似ていますが、「利便性を享受する」という使い方もよく目にするものです。この場合は、「自分のものにする=利用する・活用する」というとわかりやすいかもしれません。たとえば、, また、似た表現には「制度を享受する」といった使い方も挙げられます。この場合、「制度を活用する」という意味以外にも、「制度を取得する」といったニュアンスにもなりえます。, 「享受」には、「自ら進んで受け取り、楽しみとする」という意味もあります。たとえば、, 「享受」を「享受させる」という風に使う場合は、「受け取らせる・楽しませる=与える」というニュアンスで使用されることがあります。たとえば、, という風に、「利用の手引き」や会則、サービス案内などで用いられることの多い表現です。, 様々なシーンで「享受」という言葉は用いられますが、最も代表的な例としては日本国憲法前文における一文が挙げられます。教科書以外ではあまり目にすることのない日本国憲法ですが、「享受」を含む前文の一節を紹介しておきましょう。, 国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する, 端的に言うと、「国政とは国民に信託されたものであり、(中略)国家の権力は国民の代表者が行使するが、その福利(幸福と利益)は国民が受け取る」という意味です。, 「享楽(きょうらく)」とは、「心地よく楽しい様」を表す言葉で、快い感情を指します。「受益」とは、読んで字のごとく、「利益を受け取る(受ける)」という意味です。「逸楽(いつらく)」には、「自由気ままに遊び楽しむ」という意味があり、いずれも、「楽しい」「心地よい」というニュアンスの言葉です。, 「享受」の言い換えとしてこれらの類語が使えることもありますが、場合によっては、先の「使い方」で示したように、「利用する」や「恩恵を受ける」といった言い換えの方が伝わりやすいケースもあります。文脈に応じた使い分けをおすすめします。, 「享受」と反対の意味の言葉にはどういったものがあるのでしょう。対義語を紹介します。, 「享受」は「受け取り自分のものにする」という意味ですので、その対義語は「与えること」という意味になります。「提供」以外にも、「供給」「供与」なども対義語といえるでしょう。, 最後に、「享受」の英語訳を紹介しましょう。英語では誰もがよく知るあの英単語を使用します。, 「享受する」の英訳は「enjoy」です。「enjoy」は「楽しむ」という意味の英単語としてよく知られていますが、「享受する」という意味も持ちます。たとえば、「enjoy significant benefit from~(~からの莫大な利益を享受する)」などといった使い方が可能です。, また、「利益を享受する」という意味では、「obtain」「receive」のように、得る・受けるという意味の単語を使用することもあります。, 「享受」には、「自らすすんで受け取り、自分のものにする」という意味があり、「(利益やメリットを)享受する」と使います。また、「楽しむ」というニュアンスもあり、「自由を享受する」などといった使い方も可能です。ほかにも、文脈によって「利用する」「活用する」といった意味合いになるなど、幅広く使える言葉です。これを機に、活用してみてください。. このような人が近くにいてくれたなら、とても心強いですね。, 「堅牢なセキュリティシステムにより外部からの悪意のあるアクセスから顧客データを守ることができた」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/19 02:47 UTC 版), 多くは仏教の尊格としての像容を備えているが、偽経を除けば本来の仏典には根拠がなく、核となったのは土着の信仰だったと思われる。現在では純粋に神道の神として説明されるケース(後述)もあるが、それらは江戸国学以降の思弁によって竈神を定めたものにすぎない。神道から解くにしても仏教から解くにしても、「荒神」という名称の由来も、民俗学が報告する様々な習俗や信仰形態、地方伝承なども、十分に説明できる説は存在しない。極めて複雑な形成史をもっていると考えられている。, 荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んだったようである。各県の荒神社の数を挙げると、岡山(200社)、広島(140社)、島根(120社)、兵庫(110社)、愛媛(65社)、香川(35社)、鳥取(30社)、徳島(30社)、山口(27社)のように中国、四国等の瀬戸内海を中心とした地域が上位を占めている。他の県は全て10社以下である。県内に荒神社が一つもない県も多い。, 荒神信仰には後述するように大別すると二通りの系統がある(三系統ともいう)。屋内に祀られるいわゆる「三宝(寶)荒神」、屋外の「地荒神」である。, 屋内の神は、中世の神仏習合に際して修験者や陰陽師などの関与により、火の神や竈の神の荒神信仰に、仏教、修験道の三宝荒神信仰が結びついたものである。地荒神は、山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格もあり、集落や同族ごとに樹木や塚のようなものを荒神と呼んでいる場合もあり、また牛馬の守護神、牛荒神の信仰もある。, 御祭神は各県により若干の違いはあるが、道祖神、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教、道教、陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社(八坂神社)では、三寶荒神は牛頭天王の眷属神だとしている。, 牛頭天王は、祇園会系の祭りにおいて祀られる神であり、インドの神が、中国で密教、道教、陰陽思想と習合し、日本に伝わってからさらに陰陽道と関わりを深めたものである。疫神の性格を持ち、スサノオ尊と同体になり、祇園会の系統の祭りの地方伝播を通して、鎮守神としても定着したものである。, 家庭の台所で祀る三宝荒神と、地域共同体で祭る地荒神とがある。地荒神の諸要素には三宝荒神にみられないものも多く、両者を異質とみる説もあるが、地荒神にみられる地域差はその成立に関与した者と受け入れ側の生活様式の差にあったとみて本来は三宝荒神と同系とする説もある。ただし地域文化の多様性は単に信仰史の古さを反映しているにすぎないとも考えられるので、必ずしも文化の伝達者と現地人のギャップという観点を持ち出す必要はない。, 三宝荒神は『无障礙経』(むしょうげきょう)の説くところでは、如来荒神(にょらいこうじん)、麁乱荒神(そらんこうじん)、忿怒荒神(ふんぬこうじん)の三身を指す(ただし『无障礙経』は中国で作成された偽経)。後世、下級僧や陰陽師の類が、財産をもたない出家者の生活の援助をうけやすくするため、三宝荒神に帰依するように説いたことに由来している。像容としての荒神は、インド由来の仏教尊像ではなく、日本仏教の信仰の中で独自に発展した尊像であり、三宝荒神はその代表的な物である。不浄や災難を除去する火の神ともされ、最も清浄な場所である竈の神(台所の神)として祭られる。俗間の信仰である。, 竈荒神の験力によると、生まれたての幼児の額に荒神墨を塗る、あるいは「あやつこ」と書いておけば悪魔を祓えると信ずる考え方がある。また荒神墨を塗ったおかげで河童(かっぱ)の難をのがれたという話も九州北西部には多い。荒神の神棚を荒神棚、毎月晦日(みそか)の祭りを荒神祓(はらい)、その時に供える松の小枝に胡粉(ごふん)をまぶしたものを荒神松、また竈を祓う箒(ほうき)を荒神箒とよんで、不浄の箒とは別に扱う。, 中国地方の山村や、瀬戸内の島々、四国の北西部、九州北部には、樹木とか、大樹の下の塚を荒神と呼んで、同族の株内ごとにまた小集落ごとにこれを祀る例が多い。山の神荒神・ウブスナ荒神・山王荒神といった習合関係を示す名称のほか、地名を冠したものが多い。祭祀の主体によりカブ荒神・部落荒神・総荒神などとも称される。, 旧家では屋敷かその周辺に屋敷荒神を祀る例があり、同族で祀る場合には塚や石のある森を聖域とみる傾向が強い。部落で祀るものは生活全般を守護する神として山麓に祀られることが多い。樹木の場合は、地主神、作神(さくがみ)であり、牛馬の安全を守るが、甚だ祟りやすいともいう。また祀る人たちの家の火難、窃盗を防ぐという。地荒神も三宝荒神と同様、毎月28日とか、正月、5月、9月の28日に祭りを行う例が多い。あるいは旧暦9月か11月かに、稲作の収穫祭のような感じをもって行われる。頭屋(とうや)制で同族や集落の家々が輪番で祭を主宰する古い祭りの形式を伝えているものがある。広島県北部や岡山県西部では、「名」という十数戸を単位として、7年や13年を単位とする式年の「大神楽」が行われ、最後に荒神の神がかりがあって託宣を聞く[1]。比婆荒神神楽や備中神楽は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。, 仏教系では仏・法・僧の三宝を守る神様とされる。荒神の尊像は、三面六臂または八面六臂(三面像の頭上に5つの小面を持つ)で、不動明王に通じる慈悲極まりた憤怒の形相である。六臂の持ち物はその像によって差異があるが、一般には ©Copyright TRANS.,Inc..All Rights Reserved. 聖遺物(せいいぶつ、羅: Reliquiae)は、キリスト教の教派、カトリック教会において、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、また諸聖人の遺骸や遺品をいう。これらの品物は大切に保管され、日々の祭儀で用いられてきた。聖遺物のうち聖人の遺骸については、正教会での不朽体に相当する。古代から中世において、盛んに崇敬の対象となった。, 聖人崇敬は2世紀半ば頃にローマ帝国におけるキリスト教の迫害で命を落とした殉教者の遺体を信徒が手厚く葬ってその生涯と徳をたたえ、信仰生活の模範として仰いだことに始まる。信徒たちは聖人の命日に墓に集まり儀式を執り行った。やがて殉教者の遺体を中心に聖堂が建立されるようになった。4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教となってのち、殉教者や神意にかなった生き方を貫いたとみなされる聖職者や信徒に、死後「聖人」の称号が与えられるようになった。そして聖人とその遺物に加護と神への取り次ぎを求める様々な宗教実践が形成されていった。これには日々の願掛け、治癒の奇跡などが含まれる。, 8世紀にはキリスト教でもっとも重要な祭儀である「聖餐」を執り行う主祭壇の下には、聖人の遺体か、少なくともその一部が埋葬されていなくてはならないと定められた。このため聖堂を建てるときには聖遺物の入手が不可欠となった[1]。, フランス革命では多くの寺院が聖像破壊運動によって破却された。その後、ナポレオンとローマ教皇ピウス7世のもとで結ばれたコンコルダートによって長らく冷え込んでいたローマとフランスの間に融和的な関係が生まれた。王政復古期にかけて破却された聖堂を再建するために、ローマのカタコンベから多くの聖遺物がフランスに持ち込まれた。1835年から1850年の間に約300体の聖遺骸がフランスに持ち込まれたが[2]、その真贋に科学的考古学的な議論が起こり、この現象は下火となった。, これにより遺体の移動や分割が進んだ。窃盗や超自然的な経緯で聖遺物を手に入れた教会の縁起譚も多く、複数の聖堂が同一聖人の遺体を所有していると主張している例もある。古代末期にはかつての殉教者の遺体を高値で取引する者も出て、批判の対象となった。まがい物も数多く出回り、カトリック百科事典によれば、イエス・キリストの手足を十字架に打ち付けた聖釘は、世界中で30本を下らないだろうと言われている。, 聖遺物の略奪・盗掘は犯罪行為で、ローマでは死罪にあたった。だが略奪が許されざる行為なら、聖遺物=聖人が抵抗したに違いない。ゆえに略奪の成功は、聖人が従来の墓所管理や対応に不満だった証左である。よって略奪による移葬は聖人の意志にかなっていた。このような正当化のロジックが普及した[3]。, 聖遺物は神の恩寵を地上に媒介することで奇跡を起こすと考えられた。そのため奇跡で評判の聖遺物を所有する者は、自分こそ神の恩寵にあずかる正しいすべを保持する正当な権力者であることを証明できた。そこで中世ヨーロッパ社会では高位聖職者や王侯貴族などの権力者が人脈や財力を駆使して、キリストや人気の高い聖人の聖遺物を入手しようと競った。, 聖遺物には奇跡を起こすちからによって大勢の巡礼者を引き付け、教会のひいては町、国の格を高め、さらには巡礼者(現在で言えば観光客)を引き寄せられるというメリットもあった。そのため高名な聖遺物の導入に成功すれば、聖堂の所在地一帯には繁栄がもたらされた。膨大なコレクションを誇る巡礼地も存在した。, 11世紀末から13世紀にかけて、十字軍は多くの聖遺物を西ヨーロッパに持ち込んだ。宗教指導者たちは教会や修道院の略奪を禁止していた。だが第4回十字軍(1202年 - 1204年)の攻撃によりコンスタンチノープルが陥落し、何世紀もの間その大量の聖遺物の所蔵地として有名だったビザンツ世界の首都の門が開かれると、数多くの信徒や聖職者が教会に押し入り、略奪した聖なる品物を西方へと持ち去った[4]。これら「敬虔な盗人」には次の聖職者が含まれる。, 中世においては、価値ある聖遺物を所有することは、単に信仰心からくるだけでなく、政治・経済的な意図が働いて高額で取り引きされることも多かった。例えば、信仰心の強かったフランスのルイ9世は、キリストのかぶったという「イバラの冠」や「聖十字架」を高額で買い求めたと言う。キリスト教会が聖遺物の分与を通じてキリスト教の勢力を拡大し、ヨーロッパに残っていた異教の習慣をキリスト教化しようとしたのに対し、世俗の権力者はキリスト教の権威によってみずからの権威を確立し、贈答を通じて他の権力者との間に友好関係を結ぶために聖遺物を活用した。13世紀以降、聖遺物の認定や移動に対する教皇庁の統制が強まるが、これはキリスト教会の中央集権化とかかわっている。, カトリック神学では、神のみが崇拝の対象である。そのため、聖遺物は崇拝ではなく崇敬の対象である。