2019年の正月に誉富士に挨拶した際、相撲を辞めてモンゴルに帰郷して仕事を探すことを伝えたが、伊勢ヶ濱に説得されて現役続投を選んだ。「辞めるにしても辞めないにしてもまずは病気を治せ」とアドバイスを受けた。応援してくれる周囲の人々のためにも相撲を取り続けようと思ったという[88]。土俵で相撲を取る稽古は1日10番しか取れない体調だが、関取復帰に向けてウエイトトレーニング、ウォーキングで体力を作り、摂生に努めた[89]。 そんなの全然ない」「状態を見ながら年齢的にもまだ若い。幕下に落ちたからと言って、辞めさせるとかにはならない」と最大限やらせて答えを出すと話し、前例がないことにも「関係ない。ここまで怪我をした人がいないだけ」と語りった。左膝の痛みに加え、糖尿病に加え腎臓結石も患っている状態に「膝はだましだまし、腎臓はやってみないとわからない」と治療方針を示していた[80][81]。さらにこの時期にはC型肝炎の治療を継続して行っていることも明かしている[82]。後に照ノ富士はこの時期のことを「ケガで番付が落ちたと思われてるみたいですけど、けしてそうではないんです。膝のケガをしてからも大関を維持できていたから、ケガだけが原因じゃないんです。そこで糖尿病に罹ったり、C型肝炎にもなってしまった。あと腎臓結石も。どうしても力が出ないんですよ。元気な時なら、筋トレも稽古もやればやるほど良くなるのに、やればやるほど悪くなっていくんですから」と語っている[83]。, 2018年6月25日に7月場所の番付が発表、東幕下6枚目にしこ名が掲載され正式に幕下陥落が決定した。大関経験者、幕内最高優勝経験者が幕下に陥落するのはこれが初めて。またこの日に東京都内の病院で両膝の手術を受けた。師匠の伊勢ヶ濱親方(63代横綱・旭富士)は再起を目指す意向を明言しているが、この手術により7月場所を全休することを表明した[84]。そのため9月場所は東幕下47枚目まで番付を落とし、自身の持っていた元大関の最低地位の記録を大幅に更新する形となった。更にその9月場所も初日からの休場を表明[85]。元大関・幕内最高優勝経験者の幕下陥落で既に前代未聞のところ、9月場所も全休したため、翌11月場所では三段目(西27枚目)へと陥落してしまった。その11月場所でも全休を表明。次の2019年1月場所での復帰を見据えて治療とトレーニングを行っていたが[86]、その西三段目88枚目まで番付を落とした2019年1月場所でも全休(休場は5場所連続、全休は4場所連続)することになり、翌3月場所で西序二段48枚目へと陥落した。序二段陥落は大関はおろか三役経験者としても初めて。四股などの基本運動は再開しており、伊勢ヶ濱親方は「関取に上がるためにやっている。万全の状態にしないといけない」と話している[87]。, 3度目の膝の手術をした頃は洋式トイレに自力で座れないほどの状態であったといい、そのような状態から師匠に引退を申し出ることも5、6回あったという[88]。 2017年11月場所は初日いきなり黒星。勝利した北勝富士に「当たってこなかったですからね。相当膝が悪いんじゃ…。相手の心配してどうすんだって感じですけど」と心配されてしまっていた[70]。そのまま連敗は伸び4連敗で5日目から日本相撲協会に「左膝外側半月板損傷で全治4週間」との診断書を提出し休場した。照ノ富士の休場は3場所連続で通算4度目。二桁をあげれば特例大関復帰だったがこの場所での大関復帰はならなかった。師匠の伊勢ケ浜親方は「膝に水がたまっているし、しっかり治さないといけない。ああいう相撲で出ては駄目。本人も自覚している」と言っていた。5日目の対戦相手御嶽海は不戦勝となった[71]。結局、千秋楽まで出場せず負け越しとなり、平幕落ちが確定した。東前頭10枚目まで番付を落とした2018年1月場所でも身体の状態は悪く、初日、2日目と幕内下位の力士を相手に良いところなく敗れた。1月16日に「2型糖尿病、約1週間程度の療養を要す」との診断休場届を協会に提出し、3日目の大翔丸戦は不戦敗。照ノ富士の休場は4場所連続となる。4場所連続途中休場は幕内では史上初[72]。今回の休場理由は、膝の怪我ではなく体調不良によるものであり、再出場の可能性もある[73]。病状は2型の糖尿病であり、18日にはインフルエンザにまでかかってしまったという。伊勢ケ濱親方は「血糖値は下がっている。血糖値が安定していれば、出られる可能性がある」とも話していた[74]。11日目より再出場したが、12日目に大奄美に敗れた段階で、大受・雅山・把瑠都に続いて史上4人目となる元大関の十両陥落が確定的となってしまった。さらに13日目も敗北し、前年9月場所から続く連敗が自己ワーストの14連敗になってしまった。結局は千秋楽まで白星を挙げられず、8敗7休で終わった。大関陥落からわずか2場所での十両転落。直近4場所でわずか2勝と苦しむ照ノ富士にAbemaTVで解説を務めていた元旭天鵬の友綱親方は、「言葉がかけづらい。各部屋で千秋楽パーティがあるけれど、声をかける人もなんと言っていいか考えるのでは」と心配していた[75]。, 3月場所は西十両5枚目で挑み、初日黒星。膝の負傷と糖尿病のため体の状態は相変わらず悪く医者からは「怪我はだいたい治っているが糖尿病で体が元に戻るまで半年と言われているけど、人の2倍、3倍努力して3、4か月で戻したい」と語っていた。皆勤したのは2017年の夏場所が最後であり、最後に白星を手にしたのは最後の大関を務めた2017年秋場所3日目の栃ノ心戦であった。半年も白星から遠ざかる状態だが本人は「落ちるところまで体が落ちて戻すのは時間がかかる。でも、前もそれで戻して準優勝できるまで戻った」と気力十分で気合を入れていた[76]。2日目の臥牙丸戦で白星をあげ、連敗は17でストップした。照ノ富士は「やっと勝ったあ」と笑顔だった[77]。しかし14日目の貴ノ岩戦で負け越してしまい、6勝9敗で終わった。14日目の貴ノ岩戦はかつての兄弟子の日馬富士の傷害事件の被害者であっただけに、取組の際には事件現場に居合わせていた照ノ富士自身に事件当時の記憶を思い出させ、照ノ富士は取組後に「相撲界に入って一番、嫌な相撲だった」とこぼすほどであった[78]。東十両8枚目で迎えた5月場所も3日目まで白星を手にすることができず4日目に左膝外側半月板損傷により休場、このまま十両残留目安の5勝を記録するため再出場しなければ幕下への陥落も避けられなくなり、元大関が幕下陥落なら昭和以降初(江戸時代の看板大関などのケースを除けば史上初)のケースで引退の声さえ出るようになってしまった。伊勢ケ浜親方は「先のことなんか分かりはしない。その時にならないと言えることじゃない」と話していた[79]。そして、怪我をおして11日目から再出場するも力なく敗れ十両残留目安の5勝を記録することが不可能になり幕下陥落が濃厚となった。結局この場所は再出場後も一勝もならずに9敗6休。不戦敗も含めて先場所から休場を挟んでの13連敗で場所を終えた。報道陣に「最後の一番だから全力でやらないとね。(15日終わり)気持ちいいよ」と語り、帰り際にはファンに「辞めないで」と声をかけられると「辞めるなんて言ってないよ」と話していた。伊勢ケ浜親方は「引退? うん」と終戦を宣言していたが千秋楽は大関取りだった高安を小手投げで倒し結局この場所12勝3敗の優勝次点で終えた。2場所連続の12勝以上は大関取りだった2015年以来となった[57]。場所後に古傷の左膝の遊離軟骨を除去する内視鏡手術を受け、徐々に良くなっていると語っていた[58]。, 7月場所は、稽古はおろか蹲踞もままならない状態で挑み[59]、初日から不調で連敗。3日目に勝利するも再び連敗。1勝4敗と苦しみ。5日目の4連敗中だった小結琴奨菊戦の敗北した取組で手術した左膝を再び痛めてしまい、6日目から休場した。6日目は正代戦は不戦敗。詳しい症状は左半月板損傷で約7週間の加療であり、来場所の出場さえ厳しいほどの重症であった。また、来場所は歴代ワースト8位、自身5度目の角番となる[60]。照ノ富士は入院し夏巡業は全休。治療に専念するという[61]。9月場所の出場は無理と見られていたが全休した夏巡業の間に「1日3度の治療と2度のトレーニング」を繰り返し、回復を進めた成果が出て「動ける体になってきた。膝もほぼ治ったし、この2年で一番いい」と明るく話し「優勝を目指して頑張る。順調に上げていきたい」と自信の様子を見せていた[62]。, 9月場所は5度目のカド番を東大関2で迎えた。しかし、初日から連敗し不安視されている膝の状態などは良いとしながらも、怪我をする前の状態に戻ったことに体がなれていないなどと言っていた。結果が伴わない事態に「自分でも分からないですね。しっかりと一番一番やるだけです」と気合を入れた[63]。3日目にようやく白星をあげるが4日目から再び連敗。さらに5日目の取組で再び膝を負傷してしまう。土俵下でも左膝を曲げられず帰りも付け人に肩を貸してもらい、記者に照ノ富士は前に出たときに痛めた「膝がズレた」と呟いていた。今後の出場も「まずどうなってるか、みてからです」と悔しそうな表情だった[64]。翌日になっても膝の炎症がおさまらず「左膝半月板損傷で約2週間の加療を要する見込み」との診断書を提出し休場した。5日目を終えて1勝4敗で伊勢ケ浜親方は「昨夜は痛みが取れて出られると思ったが、朝になって歩けない。今の状態では再出場は無理ではないか」と話していた。6日目の正代戦は不戦敗となった[65]。その後、同場所9日目の時点で大関で2場所連続負け越しとなり、14場所務めた大関から陥落が決定した。角番制度となった1969年名古屋場所以降では2017年春場所の琴奨菊以来で17人目(20例目)[66]。, 照ノ富士は来場所2017年11月場所に出場する場合は大関特例復帰の10勝以上を目指すことになり、八角理事長は「きっちり治せば2桁勝つ力はある。とにかく膝を治すこと。四股を踏んで鍛えることだ」と奮起を促した[67]。2017年10月19日に照ノ富士は秋巡業に合流。大関から陥落したことに「落ちたことはあんまり気にしていない。自信を持っていく」「休んでいても治らない。付き合ってやるしかない。やり続けたら自信にもなる。大丈夫やろ!」と話していた[68]。27日の松江場所では朝乃山と三番稽古を行った。途中、巡業部長の貴乃花からアドバイスも受けて「ありがたいです」と感謝したが、稽古では3勝4敗。最後の一番では左膝を気にし、貴乃花の「無理するな」との声掛けもあって稽古を終えた[69]。 3月場所から土俵復帰し、4日目の2番相撲は同じ元幕内の天風であることからニュースになった。その天風との取組では、天風が出たところを小手投げで転がして連勝をもぎ取った[90]。因みに幕内経験者同士が序二段で対戦するのは、昭和以降史上初[91]。その後、4番相撲となった7日目の寺尾翔戦に勝利し、4連勝で2017年5月場所以来の勝ち越しを決めた[92]。5番相撲では復調を確認しようと35秒の長い相撲を試し、危なげなく白星[93]。6番相撲は速攻相撲を心掛けて4秒で白星を決めたが、稽古が満足にできておらず「腰が下りていない」と本人は振り返った[94]。元大関であるにも関わらず序二段まで番付を下げてもなお現役続投を選んだ背景には年寄名跡取得へ帰化申請中という事情があるとする報道もある[95]。最終的に7戦全勝で締めくくり、狼雅との優勝決定戦に臨んだが、敗れて優勝を逃した[96]。東三段目49枚目で臨んだ翌5月場所は、中日の4番相撲で大翔成に逆転で押し出される黒星はあったが、他は全て勝って6勝1敗で取り終えた。東幕下59枚目へと番付を戻した7月場所では、11日目の6番相撲で、3月場所の優勝決定戦で敗れた狼雅を極め出しで破って雪辱を果たすなど、4日目の2番相撲に大野城に敗れた以外は全て勝って6勝1敗で場所を終えた。9月場所は東幕下27枚目で、初日から6連勝で来たが、13日目の7番相撲で幕内経験者千代の国との6戦全勝対決に敗れ、幕下優勝はならなかった。, 11月場所4日前の11月6日にはそれまで1年以上できなかった相撲を取る稽古を行っていた。時津風部屋での出稽古で幕内の豊山、錦木、正代を10番取って10連勝と絶好調をアピールし、さらに「(東京)オリンピック前に幕内に上がりたいんだ」と抱負を語った[97]。11月場所は西幕下10枚目で7戦全勝優勝となり幕下優勝を飾った。さらに来場所の関取復帰を決めた。日本相撲協会は11月27日の番付編成会議で照ノ富士の10場所ぶりの関取復帰を決定した。大関経験者、幕内経験者、幕内最高優勝経験者の序二段からの関取復帰はいずれも史上初[98]。三役以上経験者が三段目以下に陥落してから十両に復帰する事例自体もこの場所で同時に再十両を達成した千代鳳を含めて常幸龍以来3人目[99]。照ノ富士は「新十両が決まったときよりうれしい」と再十両を決めた感想を述べ[100]、さらに「改めて気が引き締まる。応援してくださる方々の期待に応えられるように頑張りたい」と決意のコメントを残した[101]。2020年1月8日の時津風部屋への出稽古では北勝富士、正代、豊山らと相撲を取り、計7番取って6勝1敗。本人は「昔感じたことが最近、復活している」と復調を感じ取っていた[102]。, 2020年1月場所初日の千代鳳戦は、大相撲史上初となる「三段目以下に陥落してから十両に復帰した三役以上経験者同士の対戦」であったが、極め出しで白星を獲得している。十両での白星は自身として662日ぶり[103]。この場所は中日で勝ち越しを決め、16場所ぶりとなる関取の地位での勝ち越しとなった[104]。そして13日目に十両優勝を決めたが、14日目から連敗し13勝2敗で終えた。, 3月場所では、5日目まで順調に白星を積み上げ、6日目に土が付くが10勝5敗と終え、2場所連続で2ケタ勝利とし幕内復帰を確実にした。, 5月場所は新型コロナウイルス感染拡大により中止となり、7月場所前の7月9日、部屋の宝富士と翠富士を相手に20番ほど相撲を取った。それまでしばらくの間20番も相撲を取る稽古を1日に行ったことはなく、復調をアピールする結果となった。本人は「こういう時期だからこそ、乗り越えてきた自分だから言えることもある。みんなに我慢ということを相撲でちょっとずつ伝えていきたい」と日刊スポーツの取材に応じた[105]。, 7月場所は幕尻の東前頭17枚目で迎え幕内復帰後初の場所となり9日目で勝ち越しを決め、11日目に十両を含め3場所連続2ケタ勝利となる。13日目、新大関の朝乃山との1敗対決を制し単独トップに立つ。14日目に正代に敗れるが、朝乃山も照強に敗れたことにより単独トップのまま千秋楽を迎え、御嶽海に勝ち、5年振り2回目の幕内最高優勝を果たした。元大関の平幕優勝は魁傑以来44年振り史上2人目、再入幕場所での優勝は同年1月場所の徳勝龍以来史上2人目、幕尻優勝[注 3]は同年1月場所の徳勝龍以来史上3人目、30場所ぶりの優勝は琴錦に次ぐ歴代2位のブランク優勝、過去に幕内最高優勝した力士が十両以下に陥落後再び幕内最高優勝したのは史上初の快挙となった。, 東前頭筆頭で迎えた9月場所は2連敗スタートだったが、3日目に朝乃山を破ってからは7連勝。10日目の黒星を挟んで、11日目に勝ち越しを決めたところまでは優勝争いに絡んでいた。しかし、12日目に阿武咲に寄り倒されて優勝争いから脱落し、その翌日の13日目から左膝の変形性関節症のため休場した[106]。, 11月場所は東小結の地位で迎える。照ノ富士は新三役が関脇であり、そのまま大関に昇進した後、大関陥落後に関脇から小結を通り越して平幕に落ちているため小結に在位するのは自身初となる。, 照ノ富士は2015年2月の健康診断時の公式測定で180kgに達しており、モンゴル人力士としてはかなり重い部類に入る体重を活かした寄りが得意手である。基本的に正攻法の寄りに徹し、右四つに組み止めて左上手を引き付けて胸を合わせる相撲が照ノ富士の型でもある。[107]一方で上手投げも得意としており、慎重な相撲ぶりから引き技にも強い。一方で裏を返せば引っ張り込む癖や立合いが甘いという弱点を持っているとも言える。相手十分の体勢を許しておきながら、腰の重さで凌ぎ、そのうちに自分の体勢にもっていくのが巧い。2014年1月場所後に照ノ富士が「下がってからという感じで、自分から一気に攻める相撲が全然なかった」と振り返るように積極性を欠く部分もある[108]。, また、右四つからの寄りのほかに極め出しも得意としており、2015年3月場所の豊ノ島戦などで極め出しで決めている。その引っ張り込む相撲は、鳥取城北高時代からの取り口である[109]。『大相撲ジャーナル』2015年6月号55頁では相撲ジャーナリストの荒井太郎が照ノ富士について「意外とテクニシャンですね。相手の右かいなを手繰って左上手を取ったり、左上手を引きつけながら右のかいなを返して寄る相撲も強烈ですし」と評している。, しかし大関昇進後は大きい相撲を取ることや攻めの遅さなどから鎖骨、膝などの怪我に襲われており、高崎もそれを指摘している。[110]それでも膝の調子が良ければ全盛期ほどとは行かないまでも良い内容の相撲を取れることがあり、2017年3月場所後の座談会では錣山が「ケガをしてからは後ろに下がる相撲が多かったです。今場所(2017年3月)は災い転じて福となすではないですが、下がったらケガをするので、とにかく前へ、前へと出る相撲を取っていましたね。強引でもどんな形でも前に出ています」と取り口の変化とともに好調を指摘している[111]。, 2016年以降は怪我が多いため抱え込んで勝つ相撲は少なくなり、手堅く勝つには左の上手廻しが欠かせなくなっている。実際のところ、2017年3月場所12日目の遠藤戦を終えた後の支度部屋では「(上手まわしが)かかってなかったら、危なかったかもしれない。一瞬、持ち上げて崩れたから、足をかけた」と話している[112]。2017年5月場所後には武蔵川(元横綱・武蔵丸)が自身のコラムで「体が反ってしまうのを直してもっと丸くなっていかなきゃ。膝が悪いなりに相撲を取っていかなきゃいけないんだから、そこを変えていかないと近い将来に限界が来てしまうと心配してるんだよ」という分析と懸念を寄せている[113]。武蔵川はまた2016年9月場所後には照ノ富士に対して雑誌の記事で「もともと相撲は雑なんだけど、大関に上がってくるころの相撲といまに相撲とを比べると、もっと雑に、おおざっぱになってしまっているんだな。力で相撲を取ろうとしちゃダメだよ。力任せの相撲じゃ勝てない。これで終わっちゃうよ?だから、右四つをもっと磨いていくのが大事なんだ。相手が左四つできたから自分も左四つにと、相手に合わせ過ぎ。もっと自分の右四つの型に自信を持ってね」とアドバイスしている[114]。2017年3月場所前の時点では好角家でも知られるアイドルの山根千佳の発言によると、大兵だが上手を切る技術に優れているとのこと[115]。, 十両復帰を果たした2020年1月場所では、初日の千代鳳戦で極め出しを記録しており、往年の怪力ぶりを見せつける結果となった。千代鳳は土俵を割った際に決められた両腕を抜いており、取組後に「(相手の)力がすごいっす。(腕を)抜かなかったら折れてる」と感想を述べていた[116]。一方、同場所6日目のNHK大相撲中継の解説で師匠の伊勢ヶ濱から「まだ腰が高い」と指摘された[104]。2019新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けてトレーニングジムでの筋力トレーニングを自粛したため、2020年3月場所の頃には筋肉の張りが衰えた代わりに柔軟性が増した[117]。, 2020年7月場所5日目の高安戦では上手を取れなかったため、右四つに組まれて黒星を喫した。高安は右四つ得意ではないが、それだけ上手を取れないと照ノ富士は脆いという意味である[118]。, 2020年7月場所後の記事では、肩越しの上手や下がりながらの投げといった力任せな相撲が改善され、踏み込んで廻しを取る相撲が増えたと評された[119]。, (カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2020年9月場所終了現在、現役力士), 史上初となる大関経験者、幕内経験者、幕内最高優勝経験者の序二段からの幕内復帰、復活優勝, 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p109-110, 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p158-159, 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P49-50, 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p112 -113, 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p114-115, Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p92, https://twitter.com/Ichiro_SUMO/status/465637248549920768, 元大関・照ノ富士、大関陥落からわずか2場所で十両決定…直近4場所でわずか2勝 友綱親方「声かけづらい」, 伊勢ケ浜親方、照ノ富士の現役続行を明言「落ちたから『やめます』という話にはならない」/夏場所, 元大関・照ノ富士が幕下全勝V! 今年正月に引退申し出も10場所ぶり関取復帰、夢は横綱との対戦, 元大関・照ノ富士「序二段」まで落ちても引退しないワケ 年寄名跡取得へ帰化申請中 (2/2ページ), 記録ずくめの復活劇 元大関・照ノ富士、序二段から関取復帰確実に 万感の思いで来場所土俵入り, あるぞ、奇跡の大復活優勝!照ノ富士、栃ノ心との元大関対決制し1敗キープ 旭道山も「次元が違う四つ相撲」と絶賛, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=照ノ富士春雄&oldid=80434110, 2014年7月場所10日目に大砂嵐と対戦して白星を得た直後、突っ張りを食らったことに腹を立ててNHKのインタビュアーに, 2015年1月場所では三賞制度発足以来初となる全三賞該当者無しの危機に瀕していた。三賞選考委員会で、千秋楽の白星を条件に殊勲賞は宝富士、敢闘賞は宝富士、照ノ富士、玉鷲が候補に挙がったが、19人の選考委員の挙手により受賞に値するとされたのは、敢闘賞の宝富士だけであった。宝富士が佐田の海に敗れれば、1947年の三賞制度制定以来、初のすべて該当者なしとなるところであった。そこで伊勢ヶ濱親方が「(三賞ゼロは)厳しい審判部と言われる」と意見をし、別の委員から「照ノ富士―玉鷲の勝者」も候補にと提言があり、再投票で認められて該当者なしの危機を脱した, モンゴルから共に来日した逸ノ城との対戦は、2015年1月場所、同年3月場所にかけて、2場所連続で水入りとなった。これは、日本相撲協会に記録の残る1980年以降では初めての出来事である, 2017年春場所では豪風をつり出して勝利したが土俵際で太ももを上げ、やぐら投げの体勢に入りながら途中でやめ「ちょっとかわいそうだと思ったから」と投げずにそのまま土俵外へ出している, 場所入りする際の送迎車のナンバーは、72代横綱を目指していたことからこれまで必ず「72」をリクエストしていた。稀勢の里に先を越されて以降は「73」へ変更された, 2016年2月2日の健康診断で握力を測定したところ、右76㎏、左82㎏であった。同年1月場所はけがで6日目から途中休場し、休場後は左膝の内視鏡手術を受け、退院後はリハビリ生活であった。平幕だったちょうど1年前は右87㎏、左89㎏だっただけに「落ちてるな…何もしてないから」と苦笑した。大関昇進後、けがに苦しんで衰えを見せている照ノ富士のエピソードである, 2017年5月場所後の記事によると、本人は「塩撒きの際には右手を内側から時計回りに回すのがベスト」と所作について力説している, 2019年12月26日に時津風部屋へ出稽古に行った際には、「もう(稽古場、本場所両方で幕下以下が締める)黒まわしは2度と締めたくないから捨てた」と二度と幕下に戻らないという決意を語った, 関取に復帰した2020年初場所5日目からは非常に珍しい濃紺一色の化粧廻しを付けている。, 2020年7月場所の復活優勝後、間垣部屋に入門した頃から苦楽を共にした兄弟子で付け人をしていた元幕下の, 子供の頃から歌や踊りが好きな目立ちたがり屋であり、演劇発表会で主役を務めるなど元来より社交的であった, 照ノ富士の母の談話によると「旭天鵬関のように、だれにも優しくて、親切で、温厚な、ああいうお相撲さんになってもらいたい」と期待されていた, かつては相撲界でも一、二を争う酒豪であったが、酒の飲み過ぎが原因なのか後に病気に苦しんだため、2020年1月場所での関取復帰に向けて断酒したという, 日刊ゲンダイの記事によると、2011年に父は勤めていた採掘会社の倒産を経験し、その後自身で採掘会社を起業したものの失敗し、そのため照ノ富士は家計を支えるために相撲界に入ったとのこと。北の富士の著書によると、照ノ富士は「何が一番好きですか?」と聞かれると「お金!」と答えるという, 逸ノ城はモンゴルの同じ道場で柔道を習い、後に同じ飛行機で来日して寮も同部屋という仲だった, 照ノ富士を指導した鳥取城北高相撲部顧問のレンツェンドルジ・ガントゥクスは2017年5月1日に、東京都内のモンゴル大使館で権威ある勲章の北極星勲章をフレルバータル大使から授与された。勲章の授与式には照ノ富士、逸ノ城など教え子も出席していた, 後に互いに序二段陥落を喫してから序二段の土俵で顔が合った天風は、自身が鳥取城北高校に留学する前からの仲であり、15歳の時に尾車部屋に体験入門した際に一緒に寝泊まりしてゲームをした思い出があった, 関取昇進から幕下陥落までは報道陣に敬語を使わず相手を見下ろしたような言葉遣いであり、性格も傲岸不遜で強気一辺倒であった, 初土俵から大関昇進までの所要場所数:25場所(歴代4位・年6場所制以降の初土俵力士の中では歴代3位), 横綱・白鵬には4勝9敗と負け越している。新三役・新関脇の2015年3月場所で初勝利を上げた。2015年11月場所、2016年7月場所、11月場所でも勝利した。特に、大関昇進後の2015年7月場所以降は照ノ富士の3勝5敗と拮抗しており、白鵬が横綱昇進した2007年以降に大関昇進した力士の中では、大関の地位においての白鵬戦の勝率が最も高い。さらに、照ノ富士が大怪我した2015年9月場所以降は照ノ富士の2勝4敗である。, 横綱・鶴竜には4勝7敗と負け越している。2015年9月場所千秋楽では13日目の稀勢の里戦で右膝前十字靭帯断裂の大怪我を負いながらも本割で初勝利を上げるとともに12勝3敗同士の優勝決定戦へもつれ込んだ。しかし優勝決定戦で敗れ2回目の幕内優勝はならなかった。, 大関・貴景勝には2戦全敗である。貴景勝の大関在位中は照ノ富士の1敗である。まだ両者の大関同士の対戦はない。, 大関・朝乃山には2戦全勝。いずれも照ノ富士が大関に陥落して以降かつ朝乃山の大関昇進後の対戦成績である。まだ両者の大関同士での対戦はない。, 大関・正代には5勝6敗(不戦敗2含む)。いずれも正代の大関昇進前における対戦成績である。, 元大関・琴奨菊には大怪我する前までは圧倒していたが、今では9勝8敗とほぼ互角の成績となっている。, 元大関・高安には大怪我する前までは圧倒していたが、今では7勝9敗とほぼ互角の成績で、2016年7月場所から2017年3月場所まで5連敗を喫していた。しかし、高安が大関昇進直前の2017年5月場所で久々に勝利した。まだ両者の大関同士の対戦はない。, 元大関・栃ノ心には10勝2敗と勝ち越している。同じ右四つ得意ということで、自力で照ノ富士の方が上回っている。まだ両者の大関同士の対戦はない。, 元横綱・稀勢の里には照ノ富士が大怪我する前までは3勝4敗と拮抗していたが、大怪我してからは8戦全敗で、3勝12敗(優勝決定戦で1敗)と大きく負け越している。特に、2017年3月場所では千秋楽の本割、優勝決定戦と連敗して優勝を逃してしまった, 元大関・豪栄道には大怪我する前までは圧倒していたが、大怪我して以降は勝てなくなり5勝10敗と負け越している。, 若三勝 章明(わかみしょう よしあき) 2011年7月場所 - 2011年11月場所, 若三勝 由章(わかみしょう よしあき) 2012年1月場所 - 2013年7月場所, 『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p245-247.